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メイプルブログを語る上での出発点

 最近メイプルブログを見ていて”×××とはそもそも~”といったような哲学的な内容の記事を見かける事が増えたような気がします。

例えば少し前話題になっていた(今はもう違う?)のは”なぜメイプルをプレイするのか”と言った話題です。
これについては今年最初の記事で少し触れた・・・と言うかグレイズしましたが、少し流行に乗り遅れた感があるため、タイミングがあれば何か書きたいとは思っています。

それに取って代わるように最近話題になっているのが”メイプルブログとは”と言う話題です。

事の発端は私が知る限りだと”一杯の紅茶:メイプルブログとは”だったように思います。確か紅茶さんがこの記事を書くきっかけになった事が何かあったような気もしますが・・・なんだったっけ。
次いで最近のメイプルブログ界の火種役"メイプルノワール"さんが”メイプルニュースVol.15”で話題として取り上げ、それ以降様々な場所でこれ位に対する意見や感想などが呟かれました。

しかしこの問題、深く考えるには曖昧な事が多すぎます。
その点について、某レトレさんが"ものぐさブルーライト:”メイプルブログ”の論点整理"で、いくつかの"曖昧な個所"を"明確化"してくれました。

”メイプルブログとは何か”について語るとき、最初に考えない事があります。
それは、”自分がメイプルブログだと思ったらそうなんだよ”という立場の否定です。
これは日常的に使われるな言葉”人それぞれ”とほぼ同義であると言っていいでしょう。

人それぞれと言う結論は身も蓋もないように見えて実に正しい。どうしようもなく正しいです。
なぜかと言うと単純明快、それに対する反論が出来ないから。
そしてなぜ反論が出来ないかと言うと、他に明確な定義がされていないからです。

じゃあどうやったらそれを否定できるかと考えた時、例えばこんな例が思いつくかもしれません

”俺のブログの内容は18禁のエロ画像が大量に貼ってあるえろっえろなブログだけどあくまでもぴゅあぴゅあな俺がこのブログは健全だってんだからこのブログは18禁ブログじゃねえ!”

当然、んなわけあるかアホ!ってなりますが、残念ながら今回のメイプルブログの例としては不適切です。
なぜなら、”18禁ブログ”には”メイプルブログ”と違い絶対的な定義が法律だか何だかにより定められているからです※
絶対的な定義がある以上、いくら個人が主張しようがそのブログは18禁。この事実は揺るぎません。
(※私は法律詳しくないので詳細は知らない。けど今回の話をする上では間違ってたとしてもこれで十分)


さて、ではどうやったらこの最初の難関を突破する事が出来るのでしょうか?
そのヒント、と言うか答えを紅茶さんが書いてくれました。

「メイプルブログであること」

「メイプルブログを名乗ること(書き手目線)」
「メイプルブログと呼ぶこと(読み手目線)」
であることは別物であるということ。
                            一杯の紅茶:<”メイプルブログであること”はやめられない!?>より一部抜粋


ここが出発点です
ここを通過しない理論は上の人それぞれ論で全て封殺されます。
偉そうに出発点とか言いましたが、そこに至るまでが割と大変なのは言うまでもありません。

ちなみに私は人それぞれ論を否定するつもりは全くなく、むしろ支持しています。
しかし、考える事を放棄する理由に”人それぞれ”を使う事はあまり良い事だと思いません。


今回の問に対する私の最終的な目標はメイプルブログの明確な定義を考える事。
そして、先に結論を言うと”定義は人それぞれである。絶対的な定義は存在しない”です


”人それぞれ”に多様な定義、これを後の記事でいくつか考えてみます。
その時に全開の記事での問に対する答えも書けると思います。




おまけ”考える事の意義”

メイプルブログでしばしば行われる議論の様な物は毎回不毛だったと前回の記事でも言いました。
結局結論なんて出ないまま人それぞれいろんな意見がありますねで終わってしまう事ばかりですし、今回もその様な結末になる事は明らかです。
しかし、そういう終わり方だったとしても、考えたうえでの人それぞれと、考えを放棄しての人それぞれではわけが違います。
前者は様々な意見を考慮した上で自分の立場を再認識し、他の人の立場について理解できている状態です。
後者は自分の意見を盲信し、他の考えを理解する事を放棄した状態です。

ちなみに、前者が他人の意見に対して反対意見を投げかける事を批判と言い、後者がするのを非難と言います

今回の話でも、最終的に取る立場が人によって異なるのは明白ですが、様々な意見を理解したうえで自分の立ち位置を再確認するのは非常に有益な事だと思います。立ち位置と言うのは相対的に決まる物ですから、他が見えなければいつの間にか誰の声も届かぬ樹海を彷徨う羽目になり兼ねません。




初稿 2015/02/11
推敲、投稿 2015/02/13
修正 2015/02/14(不適切な引用を取り消しました)

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